東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)83号 判決 1970年4月24日
原告
(スイス国)
ジエ・アール・ガイギ・エス・エー
代理人
松方幸輔
被告
特許庁長官
代理人
渋江光友
外一名
主文
昭和三四年抗告審判第八八四号事件について特許庁が昭和三六年二月二七日にした審決を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実《省略》
理由
1<略>
2<前略>
本願発明の要旨は、
(1) 顔料と水との割合が、疎水性有機顔料乾燥重量部であること
(2) 顔料と分散剤との割合が、顔料乾燥物一〇〇重量部あたり分散剤が二ないし約四〇部であること
(3) 分散剤が、脂肪族アルコール硫酸化物またはヒドロアビーチルアルコール硫酸化物、または、脂肪族アルコール硫酸化物とヒドロアビーチルアルコール硫酸化物であること
(4) 分散剤は水中に溶解し、そして顔料はその水溶液に直接接触していること
以上の条件を満足することを特徴とする顔料水中分散体であり、
その目的とするところは、天然および合成ラテックス配合物の着色、製紙工業における紙の着色、また固着剤と併用して織物を捺染または引染にて着色するに用いる有機顔料水中分散体について、高い発色力、着色力をもつものを簡単な方法で得ようとすることにあり、顔料水中分散体において、前記のような条件、とくに「分散剤の種類」および「顔料と分散剤と水の配合割合」を前記のように採択することにより、疎水性有機顔料粒子の水中分散を良好ならしめ、その結果従来にない強い着色力をもたらすという作用効果を狙いとするものであること
以上の事実を認めることができる。
3一方引例に審決が認定するとおりの色素糊の記載があることは、被告の明らかに争わないところである。
4そこで、本願発明と引例記載のものとを比較すると、両者はその構成において、原料諸物質の配合割合を異にするほかは一致するものということができるが、この原料諸物質の配合割合について、本願発明と引例を比較してみると、
本願の水中分散体
引例の色素糊
(1)顔料
一四~三五部
六部(三〇部×20/100)
水
六五~八六部
八九部(六五部+二四部)
(2)顔料一〇〇に
対する分散剤
二~約四〇部
八三、三部(六対五部)
となり、顔料に対する分散剤および水の配合割合において、原告主張のとおり両者の間に顕著な差異があることが明らかであるから、両者はこの点で構成を異にするものということができる。
5ところで、本件審決が、本願発明と引例との間のこの原料諸物質の配合割合の差異について、そこに発明を認めることができないとし、その理由として原告の主張四、(三)の(イ)、(ロ)のように説示していることは、争いがない。
そして、捺染は、被染物を部分的に染色して模様を現出する染色法であるから、これに供せられる捺染用色糊においては、染色された部分と染色されない部分との境界が明瞭になるよう、にじみを防止し着色を鮮明にする必要から、必要最少量の染料・顔料を有効に利用するのがよく、一方、浸染は、被染物全体に無地染めを行なう染色法であるから、これに供せられる浸染染色浴においては、むら染めを防ぐ必要から、必要量より多量の染料・顔料を染色浴中に均一に存在させるのがよく、捺染と浸染においてこのような技術的要求の差異のあることが技術常識に属することは、被告のいうとおりであろう。
しかしながら、顔料水中分散体(色素糊)は、これを染色浴にして用いる場合は勿論、捺染用色糊にして用いる場合にも、これに顔料固着剤乳剤および水を配合した稀釈液を加えて稀釈する必要があることは公知に属する(甲第三号証によれば、引例の色素糊から染色浴を製造するためには、さらに多量の乳剤および水を混合して数倍に稀釈する必要があることが認められ、また甲第一号証の一、二によれば、本願の明細書中にも、本願の顔料水中分散体が泥状体であつて、これを増量エマルジョンをもつて伸ばして用いると、捺染用色糊として色量がすぐれ耐洗濯性の大きいプリントが得られる旨の説明があることが認められる。)。そして、前記のような捺染と浸染における技術的要求の差異の問題は、右のように顔料水中分散体を稀釈増量して調整した後の最終製品たる捺染用色糊または染色浴についていうべきことにすぎないのであつて、このことからその原料のひとつである顔料水中分散体じたいの組成割合が当然に左右されるというような必然的な関係があることについては、審決に何も説示するところがなく、また本訴においても何ら立証されていない。
したがつて審決が、右のような捺染と浸染における技術的要求の相違のみを根拠として、稀釈前の顔料水中分散体においても、捺染用の場合は浸染用の場合に比し有機顔料に対する分散剤および水の配合割合の少ないことが当然であると断定したのは、失当である。前記のように、本願発明が組成割合の点で引例との間に顕著な差異を有する以上、その差異にもとづく格別の作用効果が存するならば、そこに発明思想を肯認すべきであつて、そのような格別の作用効果が存しないことについて、これを認めるに足る証拠はない。かえつて、検甲第一号証(それが昭和三三年一〇月一七日原告から特許庁に提出された浸染布見本と同じものであることは、当事者間に争いがない。)および検甲第二ないし五号証(それらがいずれも、本願発明と引例記載のものとの効果上の差異を明らかにするため原告側が作成した浸染布見本であることは、甲第四号証の一、二により明らかである。)ならびに甲第三号証、第四号証の一、二によれば、
引例記載のものと同様の色素糊を用いこれを引例公報記載の方法により稀釈して製造した浸染染色浴と、本願発明の顔料水中分散体を用いこれを右と同一条件で稀釈して製造した浸染染色浴とを比較すると、同じ顔料を同じ濃度で用いても、本願のものによる方が引例のものによる場合よりも布に対する着色力においてすぐれていること(そのすぐれる程度は、用いる顔料の種類・色彩により多少の違いがある。)を窺うことができるのである。
してみると、本願発明のものは、前記の構成上の差異にもとづいて、着色力の点で引例にない作用効果をもつものというほかはない。
6被告は、引例のものは捺染用色糊の作成を考慮していないのに対し、本願のものはその用途を捺染用色糊に拡げたから、にじみの防止や着色の鮮明さが要求され、これを解決するため顔料、分散剤および水の配合割合につき適宜の変更を加え、その成績が合目的に近いものを実験的に選択したにすぎないから、そこに発明を認めることはできない、と主張する。しかしながら、本願発明の目的は、前記認定のように、顔料水中分散体において疎水性有機顔料粒子の水中分散を良好ならしめ着色力を増大させることにあり、ここにいう着色力が、被告のいう「捺染におけるにじみの防止や着色の鮮明さ」とは異なる概念であることは、すでに明らかである。そして、このように配合割合を適宜変更して着色力を調整し、本願発明が採用するごとき数値を選択することは当業者にとつて実験的に容易であるという点については、そのような被告の見解を支持するに足る事実の主張も立証もない。
また被告はこの点について、本願の数値条件を外れた場合においてもまつたく本願の場合と異なる性状を呈するわけではないから、このような範囲を定めたことに発明は存しない、と主張しているけれども、本願の数値条件を外れた場合に呈する性状が本願の場合と格別相違しないという事実を認めるに足る証拠はなく、また、被告のこの主張が本願発明がその特定構造によつて明細書記載の作用効果を奏するものであることを否定し、これを争う趣旨であつていわゆる発明の未完成を主張するものであるならば、本願発明が引例との関係で進歩性がないとしてその特許性を否定した本件審決の当否を争う本訴においては、主張じたい採用できないものというほかはない。
したがつて、以上の点に関する被告の主張は、理由がない。
7このように、本願発明の顔料水中分散体は、引例の色素糊に対し、顔料に対する分散剤および水の配合割合の点に発明思想が認められ、したがつて(特許法施行法第二〇条第一項により本願に適用すべき)旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第一条にいう新規な工業的発明にあたるというべきであるのに、前記のように首肯しがたい理由を示してその特許性を否定した審決は、判断を誤つた違法のものであり、その取消しを求める原告の請求は正当であるからこれを認容する。(古原勇雄 杉山克彦 楠賢二)